連載 No.24 2016年02月28日掲載

 

色あせながら輝くもの


消えてしまいそうな思い出を「色あせた写真のように」と形容することがある。

一昔前の話かもしれないが、写真は古くなれば変色し、画像の劣化とともに風化していくと考える人が多かった



日本に写真美術館ができ始めた1980年代。

そういう感覚を一掃するために写真にもアーカイバルプロセス(長期保存処理)という言葉が聞かれるようになる。

当時の美術館やギャラリーでは過剰に保存性に留意し、扱う作品に厳しい規定を設けているところもあった。

美術品としての地位やマーケットを確立するためには、何らかのお墨付きが必要だというのも納得できる話だろう。



86年に東京銀座のコダックフォトサロンで初めての個展を開いたときには、

展示作品への厳密な規則はなかったが、コダック社の推奨する、長期保存用のプロセスをすべてのプリントに施した。

美術品としての写真への関心も高まりつつあった時期で、

会場でプリントの耐久性に関する質問に答えることも、多かったと記憶している。



逆に、最近の展示で、購入者からプリントの保存性について問われることはほとんどない。

一般的な写真プリントの耐久性が高くなったとことも影響しているが、

それよりも、見る側の写真に対する意識が少しずつ変わってきたことが感じられる。



近年、そんな30年前のプリントをチェックし、現代の印画紙で販売用に仕上なおす機会が多い。

30年そこそこで芸術作品の保存性云々は語れないが、

劣化と感じる部分はなく、むしろ現代の印画紙にはない風格や重みが加わってきたようだ。

程よくエイジング(経年)され、白は穏やかになり、黒の光沢は金属に近づき、新しい表現力を身につけている。

時を重ねて美しくなるものもある。



作家としての本音ならば、保存性をあげるために特別な処理はしたくない。

それは今、最も美しいものに何らかの加工を施し、

100年後までこのままの姿で残そうという試みのようで、あいまいな疑問を感じる。



もちろん、最良の状態で、いつまでも美しいものであればそれにこしたことはないが、

漆器であれ、絵画であれ、美しいものほど痛みやすいという側面もある。

それを所有する人が、大事に持っていたいと思うものを作ることが、作品を長持ちさせる最良の方法ではないだろうか。



今回の作品は1984年に撮影。

一見大きな木のようにも見えるが、50センチほどの小さな植物がコケの上で倒れて風化したものだ。

30年前の展覧会のプリントを精密に再現して現代の印画紙で仕上げてある。

当時のビンテージプリントは被写体の風化した質感とエイジングされた印画紙の風合いがマッチして美しいが、

これはモダンプリント。時を重ねれば、さらに美しくなる。